プロフィール

サンシャイン池崎の事務所|ワタナベエンターテインメント

スクールの2期生から、20年。

ビルの前に立つ看板と、そこへ続く階段の上に人が立っている図

サンシャイン池崎さんの所属はワタナベエンターテインメントです。 ただ「どこの事務所か」だけなら一行で終わってしまうので、 この記事ではもう少し先まで見ていきます。 どうやって入ったのか、事務所の中で何が起きたのか、 そして公式プロフィールには何が書いてあるのか。 確認できた記録をもとに並べ直しました。読み取りの部分は、ファンの立場から勝手に考察してみます。※ 考察にあたる部分はご本人や事務所が語った意図ではなく、いち読者としての読み取りです。

01

サンシャイン池崎の事務所はワタナベエンターテインメント

名刺のような大きな札に社名の欄と名前の欄が並んでいる図

結論から書くと、所属はワタナベエンターテインメントです。 デビューからいままで、変わっていません。 まずは確定している部分を短く押さえます。

1-1公式プロフィールが一次情報になる

公式サイトのページに印が押されている図

事務所を確かめるときにいちばん確実なのは、その事務所自身が出しているページです。 ワタナベエンターテインメントの公式サイトには、池崎さんのプロフィールページがあります。

まとめサイトや百科事典より、所属先が自分で載せている情報のほうが強い。 この記事でも、まずそこを起点にしています。

1-2デビューから所属が変わっていない

一本の長い線の両端に同じ形の旗が立っている図2006NOW

活動の開始は2006年からで、以降ずっと同じ事務所です。 途中で移籍した記録は、確認できた範囲では見当たりません。

ピン芸人としては20年近く同じ場所にいることになります。 この長さそのものが、この記事で見ていきたい部分です。

1-3「スクールの2期生」という入り方

校舎の扉の上に「2」と書かれた札が掛かっている図2

池崎さんは、事務所が運営する養成所「ワタナベコメディスクール」の2期生です。 オーディションで直接入ったのではなく、学校を通った形になります。

スクールの開校が2004年で、その翌年の入学。かなり初期の世代にあたります。

1-4この記事で扱う範囲

点線の枠の中に建物のアイコンだけが入っている図

この記事では「所属先」という切り口だけを扱います。 芸人になるまでの道のりやコンビ時代は、別の記事にまとめてあります。

経歴の記事と下積みの記事のほうが、 時間の流れを追うには向いています。

02

ワタナベエンターテインメントとはどんな会社か

大きな親会社の箱から分かれた子会社の箱が立ち、その下に事業の札が3枚並んでいる図

事務所の名前だけ見ても中身は分かりません。 どういう成り立ちの会社なのかを、先に押さえておきます。古い芸能プロダクションから分かれてできた会社です。

2-12000年に渡辺プロダクションから分社化

ひとつの大きな円から小さな円が分かれて出ていく図2000

ワタナベエンターテインメントは、2000年10月24日に設立された会社です。 渡辺プロダクションの組織改編にともない、部門が分かれる形でできました。

いわゆる「ナベプロ」の系列にあたります。 会社としては新しくても、背景にある歴史は長いということになります。

2-2本社は渋谷区神宮前

地図の上に位置を示すピンが立っている図

本社は東京都渋谷区神宮前にあります。 2023年8月28日に表参道から原宿へ社屋を移した、という記録が残っています。

所属タレントの数が多い事務所なので、 この住所がプロフィールの問い合わせ先になっていることもあります。

2-3芸人だけの事務所ではない

マイク・カチンコ・音符のアイコンが横に並んでいる図

公式サイトを見ると、お笑い芸人だけでなく、俳優やタレントも所属しています。 事業もマネジメントのほか、出演依頼の窓口、オーディション、スクールと並んでいます。

お笑い専門ではない場所に芸人がいる、という構図です。 それが仕事の幅にどう効いているのかは、後の章で触れます。

2-4養成所を自前で持っている

会社の建物と学校の建物が渡り廊下でつながっている図

この事務所の特徴のひとつが、ワタナベコメディスクールという養成所を自前で持っていることです。 開校は2004年10月1日でした。

スクールから所属へという道がすでに用意されていた。 池崎さんはそのできたばかりの仕組みに乗った世代にあたります。

2-5事務所内の大会がある

トーナメント表の頂点にトロフィーが置かれている図

所属している芸人同士で競う大会も開かれています。 池崎さんが2015年に優勝した「最笑王座決定戦」もそのひとつです。

外の賞レースとは別に、身内の中での順位がつく場がある。 これが池崎さんにとって大きな分かれ目になりました。次の章で詳しく見ます。

03

入口になったワタナベコメディスクール

教室の机が並び、その先の扉から舞台の光が差している図

芸人としての出発点は、事務所そのものではなく養成所でした。2005年4月に2期生として入学し、2006年3月に卒業しています。

3-12005年4月に2期生として入学

4月のカレンダーの上に入学の札が置かれている図2005 / 4

入学は2005年4月です。スクールの開校が2004年10月ですから、 立ち上がってすぐの時期にあたります。

このころはまだ大分から出てきたばかりの時期で、 芸名も「サンシャイン池崎」ではありませんでした。

3-21年で卒業している

丸めた卒業証書と角帽が置かれている図

卒業は翌2006年3月。在籍はおよそ1年でした。 事務所としての活動開始も、この2006年からとされています。

学校を出てすぐ所属になった形ですが、 そこからブレイクまでには10年ほどの時間がかかっています。

3-3同じスクールの出身者たち

卒業アルバムのページに複数の顔が並んでいる図

スクールの卒業生として名前が挙がっている人には、 フワちゃんさん、平井“ファラオ”光さん、薄幸さん(納言)などがいます。

ハライチのお二人も、この学校の卒業生として紹介されています。 池崎さんとは同じ学校と同じ事務所という関係になります。

3-4コンビからピンへ

2人組の図から1人の図へ矢印が伸びている図

在学中に知り合いとコンビ「ソニックブラザーズ」を組んでいましたが、 2007年9月のブログでの発表をもって解散しています。

以降はピン芸人として活動を続けました。 このあたりの経緯は経歴の記事のほうが詳しいです。

3-5いまも公式プロフィールに残る「所属スクール」

プロフィール欄の一項目が線で囲まれている図

公式プロフィールには、いまも「所属スクール:ワタナベコメディスクール」という項目が載っています。 20年近く経っても消えていません。

勝手に想像するなら、そこが出発点だという記録を事務所の側も残しているということなのかもしれません。

04

2015年2月12日|事務所内の大会で優勝する

舞台の中央で優勝旗を掲げる人物と、その前後で仕事量を示す棒が急に高くなっている図

外の賞レースで結果が出るより前に、 事務所の中の大会で勝っています。 本人の言葉を借りれば、ここから「数十倍忙しくなった」とのことです。

4-1所属芸人同士で競う大会だった

同じ建物から出てきた複数の人物が舞台に並んでいる図

「最笑王座決定戦」は、ワタナベエンターテインメントに所属する芸人同士で いちばん面白い芸人を決める大会です。

外部の賞レースと違い、審査の場に出られるのは身内だけ。 そのぶん事務所の中での評価が直接動く場所だったと思われます。

4-22015年2月12日の開催

日付が大きく刻まれた記念のプレートの図2015.2.12

開催日は2015年2月12日。池崎さんはこの回で優勝しています。 芸人になってから9年目のことでした。

R-1で決勝に進むのはこの翌年、準優勝はさらにその翌年です。 つまり外で知られる前の出来事にあたります。

4-3「数十倍忙しくなった」

予定表のマスが一気に埋まっていく図

この優勝について、本人は以降「数十倍忙しくなった」と語っています。 事務所の中で勝ったことが、そのまま仕事の量に跳ね返った形です。

テレビに出る前の段階で、まず身内に見つけてもらった。 所属しているということの意味が、いちばん分かりやすく出た場面だと思います。

4-4翌年からの賞レース

3段の表彰台に年号の書かれた板が並んでいる図201720152016

2016年にはR-1グランプリで決勝に進出。 2017年にはフリップ芸人王座決定戦2017で優勝し、R-1ぐらんぷりでは準優勝しています。

事務所内の優勝から2年で、外の舞台まで届いた並びです。 R-1との関わりは別記事にまとめています。

4-5大晦日の特番へつながる

テレビ画面の中で人物が両手を広げている図

2016年12月31日の年越し特番での出来事が、 世の中に名前が広がる決定打になりました。

その前段に事務所内での優勝があった、という順番です。ブレイクのきっかけの記事と あわせて読むと、助走の長さが見えてきます。

05

同じ事務所にいる芸人たちとの接点

ひとつの建物から出た線が複数の人物につながり、そのうち何人かが同じ舞台に立っている図

所属が同じだと、仕事の場で顔を合わせる機会も生まれます。 池崎さんの活動を追っていくと、同じ事務所の名前が何度か出てくることに気づきます。

5-1公式サイトに並ぶ顔ぶれ

一覧ページに複数のタレントのカードが並んでいる図

公式サイトには、ネプチューンさん、ホンジャマカさん、ハナコさん、 フォーリンラブさん、リンダカラーさんといった名前が並んでいます。

俳優やタレントも同じ一覧に載っていて、 お笑い専門の事務所ではないことが見て取れます。

5-2ハライチとはスクールも同じ

同じ校舎から出た2本の線が握手につながっている図

ハライチのお二人も、ワタナベエンターテインメント所属で、 ワタナベコメディスクールの卒業生として紹介されています。

池崎さんのゲーム実況チャンネルには岩井さんとの配信があります。同じ学校と同じ事務所という下地があったうえでの共演のようです。

5-3ラジオでは営業の話も出てくる

車に乗って移動する人物たちと、その先の舞台の図

自身のラジオ番組『ペガサス&ユニコーン』の回のタイトルには、 「ハナコと営業行ってきた」という言い回しが出てきます。

舞台やテレビだけでなく、営業の現場でも一緒になる。 こうした日常の重なりは、番組を追っていると見えてきます。

5-4劇団の公演にも同じ事務所の名前

公演のチラシに出演者の名前が縦に並んでいる図

2026年3月のサンシャイン池崎劇団の旗揚げ公演では、 出演者に「たいこー(リンダカラー∞)」さんの名前が入っています。

リンダカラーさんも同じ事務所です。 自分の企画を立てるときに、近くにいる人から声をかけられるという形にも見えます。

5-5お笑い以外の現場も多い

教室・スタジオ・劇場の3つのアイコンが並んでいる図

NHKの語学番組や子ども向けの朝の番組、映画や声優の仕事まで、 池崎さんの出演先はお笑い番組だけにとどまりません。

俳優やタレントも抱える事務所にいることと関係があるのかもしれませんが、 そこは確かめようがないので、断定は避けておきます。

06

公式プロフィールに何が書かれているか

プロフィール表の左に項目名、右に内容が並び、写真の枠が添えられている図

事務所のページには、決まった項目が並んでいます。 何が載っていて、何が載っていないのか。一次情報として読むときの手がかりになります。

6-1基本データの欄

身長・血液型・生年月日の3つの枠が並んでいる図173O10/9

出身地は鹿児島県鹿屋市、生年月日は1981年10月9日、身長は173cm、血液型はO型。 このあたりは公式プロフィールに明記されています。

数字が載っているものは、ここを見るのがいちばん確実です。 詳しくはプロフィールの記事にまとめています。

6-2趣味と特技の欄

漫画・ゲーム機・卓球ラケットが並んでいる図

趣味には「映画鑑賞、漫画」とゲーム、特技には「一発ギャグ、ボート、卓球」が挙がっています。 資格の欄には普通自動車免許、ペットの欄には猫。

「卓球」が特技に入っているのは、 のちの舞台「爆裂卓球学園」を知ってから読むと少し見え方が変わります。

6-3「かのやばら大使」の肩書き

ばらの花と、その下に掛かった大使の札の図

地域振興の欄には「かのやばら大使」と書かれています。 出身地である鹿屋市に関わる肩書きです。

故郷との関わりについては鹿屋市の記事で詳しく扱いました。

6-4レギュラー番組の欄

2行だけ書かれた番組欄の図

レギュラーとして載っているのは、NHKラジオ第2「小学生の基礎英語」と テレビ東京「おはスタ」の2本です。

ただしラジオの番組は2026年度からNHK FMに移っており、表記が追いついていない部分もあります。次の章で触れます。

6-5書かれていないこと

項目欄の一部が空白のまま残っている図

一方で、家族構成や交際についての項目はありません。 事務所が出しているのは、あくまで仕事に関わる情報です。

この記事でも、公式に出ていないことは書きません。出典がないものは載せないというのが当サイトの方針です。

07

事務所を調べるときに気をつけたいこと

複数の情報カードのうち、公式マークの付いた1枚だけに光が当たっている図

事務所まわりの情報は、古いまま残っていることがよくあります。 つまずきやすいところを並べておきます。

7-1公式の表記が最新とは限らない

止まった時計と動いている時計が並んでいる図

公式プロフィールでは、レギュラーが「NHKラジオ第2」と書かれています。 ですが、この番組は2026年度からNHK FMでの放送に変わりました。

公式であっても、更新が追いつかない項目はあります。 放送枠を確かめるなら、番組側のページを見るのが確実です。

7-2「ナベプロ」と混同しやすい

親子関係にある2つの箱が線でつながっている図

ワタナベエンターテインメントは渡辺プロダクションから分かれた会社です。 そのため「ナベプロ所属」と書かれている記事も見かけます。

間違いとは言い切れませんが、 現在の所属先の名前としてはワタナベエンターテインメントが正確です。

7-3養成所と事務所は別の話

学校の箱と会社の箱の間に区切りの線が入っている図

ワタナベコメディスクールは養成所で、所属先そのものではありません。 卒業したあとに事務所へ所属する、という順番になります。

「スクール出身」と「所属」は別の情報です。 プロフィールにも両方が並んで書かれています。

7-4大会名が似ていて紛らわしい

よく似た2枚の表彰状が並んでいる図

池崎さんが2015年に優勝したのは「最笑王座決定戦」です。 事務所では2016年から「ワタナベお笑いNo.1決定戦」という大会も開かれています。

名前が似ているため取り違えやすいところです。 年と大会名をセットで確認するのが安全だと思います。

7-5問い合わせ先を間違えない

封筒が正しい宛先の窓口へ向かっている図

出演依頼などの窓口は、事務所の公式サイトにまとめられています。 個人のSNSやファンサイトが受け付けているものではありません。

当サイトも非公式のファンサイトなので、 仕事の依頼を取り次ぐことはできません。

08

サンシャイン池崎の事務所についてよく調べられていること

検索窓の下に会社の建物と疑問符が並んでいる図

ここまでの内容と重なる部分もありますが、 よく引かれている問いに短く答えておきます。確認できた範囲だけを書いています。

8-1事務所を移籍したことはあるのか

2つの建物の間の矢印に大きなバツ印が付いている図

確認できた範囲では、移籍の記録はありません。 2006年の活動開始からずっとワタナベエンターテインメント所属です。

「独立」や「退所」といった情報も見当たりませんでした。

8-2どうやって事務所に入ったのか

学校の扉から会社の扉へ一本道が続いている図

2005年4月にワタナベコメディスクールへ2期生として入学し、 2006年3月に卒業して所属という流れです。

オーディションで直接入ったのではなく、 事務所が持つ養成所を通った形になります。

8-3同じ事務所に誰がいるのか

名簿の行がいくつも並んでいる図

公式サイトにはネプチューンさん、ホンジャマカさん、ハナコさん、 フォーリンラブさん、リンダカラーさん、青木さやかさんなどが載っています。

ハライチのお二人も同じ事務所です。 最新の顔ぶれは公式サイトの一覧で確認できます。

8-4「最笑王座決定戦」とは何か

王冠の下に事務所の建物が小さく描かれている図

ワタナベエンターテインメントの所属芸人同士で、いちばん面白い芸人を決める大会です。 池崎さんは2015年2月12日の回で優勝しています。

本人によれば、これ以降「数十倍忙しくなった」とのことでした。

8-5事務所の本社はどこにあるのか

住所の書かれた札とピンが並んでいる図

本社は東京都渋谷区神宮前です。 2023年8月28日に表参道から原宿へ社屋を移したという記録があります。

住所は変わることがあるので、 正確な情報は公式サイトの会社概要を見るのが確実です。

8-6お笑い専門の事務所なのか

お笑いの仮面のとなりに俳優と歌手のアイコンが並んでいる図

いいえ。公式サイトの一覧には俳優やタレントも並んでいます。 事業もマネジメントのほか、出演依頼の窓口やスクールまで含まれます。

お笑い専門ではない場所に芸人が所属している、という形です。

09

事務所との20年を年表で並べる

横一本の年表の上に、校舎・解散・トロフィー・テレビ・劇場の印が順に並んでいる図20052007201520172026

ここまでに出てきた年月を、ひとつの流れとして並べ直します。節目のあいだが空いているところに、この人の歩き方が出ていると思います。

9-12004年|スクールが開校する

新しい校舎の前にテープが張られている図

ワタナベコメディスクールの開校は2004年10月1日です。 池崎さんが入るより半年ほど前にできた、新しい学校でした。

このタイミングの近さが、2期生という立ち位置につながっています。

9-22005年〜2006年|入学と卒業

入学の扉と卒業の扉が短い橋でつながっている図

2005年4月に2期生として入学し、2006年3月に卒業。 在籍はおよそ1年でした。

事務所としての活動開始も、この2006年からとされています。

9-32007年|コンビ解散

2人の人物のあいだに割れ目が入っている図

2007年9月、コンビ「ソニックブラザーズ」の解散をブログで発表しています。 卒業からおよそ1年半後のことでした。

ここからピン芸人としての時間が始まります。

9-42015年|事務所内で優勝

長い空白のあとに一本だけ高い柱が立っている図

2015年2月12日、「最笑王座決定戦」で優勝します。 解散から数えると、およそ7年半が経っていました。

この年表でいちばん空白が長いのが、2007年から2015年までの区間です。

9-52016年〜2017年|外の舞台へ

建物の中から外の大きな舞台へ光が伸びている図

2016年にR-1グランプリで決勝進出、2017年にはフリップ芸人王座決定戦で優勝し、 R-1ぐらんぷりでは準優勝しています。

そのあいだの2016年12月31日には、年越しの特番での場面がありました。

9-62026年|劇団を立ち上げる

緞帳の上がった舞台に旗が立っている図

2026年3月には、サンシャイン池崎劇団の旗揚げ公演が行われました。 スクールに入った2005年から数えて、21年目にあたります。

同じ事務所にいながら、自分で座組を立てる側にまわった形です。

10

もっと詳しく読むために|関連記事の案内

中央の建物から4方向に道が伸び、それぞれの先に記事のカードがある図

この記事では「所属先」という切り口だけを扱いました。 時間の流れや細かい部分は、別の記事に続きがあります。

10-1経歴を順に追いたいとき

右上がりの折れ線と年号の目盛りの図

鹿屋から大分、そして東京へ。芸人になるまでの流れは経歴の記事にまとめました。

コンビ時代の話も、そちらのほうが詳しく扱っています。

10-2売れるまでの10年を知りたいとき

同じ形の目盛りが10個並んでいる図

事務所に入ってからブレイクまでには10年ほどかかっています。 その間に何をしていたのかは下積みの記事で扱いました。

バイトと部屋の話まで含めて、生活の側から追っています。

10-3基本データを確認したいとき

身分証のような一枚のカードの図

本名、生年月日、出身、学歴といった項目はプロフィールの記事に集めています。

公式に出ている数字と、本人が語ってきた話を分けて並べました。

10-4いまの仕事を知りたいとき

テレビ・マイク・再生ボタンが並んでいる図

いま何をしているのかは現在の記事、 出演の全体像は出演番組まとめにあります。

ラジオまわりはラジオの記事で扱いました。

11

まとめ|20年いる場所から見えること

校舎から会社へ、そして舞台へと続く一本の長い道の図

所属先を追いかけるだけでも、いくつか分かることがありました。 最後に短くまとめます。

サンシャイン池崎さんの所属はワタナベエンターテインメント。 2000年に渡辺プロダクションから分かれてできた会社で、 お笑い芸人だけでなく俳優やタレントも抱えています。 本社は渋谷区神宮前にあります。

入口になったのは、事務所が持つ養成所ワタナベコメディスクールでした。 2005年4月に2期生として入学し、2006年3月に卒業。 スクールの開校が2004年ですから、かなり早い世代にあたります。

そして2015年2月12日、事務所の中の大会「最笑王座決定戦」で優勝します。 本人いわく、ここから「数十倍忙しくなった」とのこと。 R-1の決勝に進むのは翌年、準優勝はさらにその翌年ですから、外で知られる前に、まず身内に見つかっていたことになります。

同じ事務所には、ゲーム配信で共演するハライチの岩井さんや、 営業で一緒になるハナコさん、劇団の公演に出たリンダカラーさんがいます。 長く同じ場所にいるぶん、近くにいる人との仕事が積み重なっていくのかもしれません。

ひとつ注意しておきたいのは、公式プロフィールにも古い表記が残ることです。 レギュラーの欄は「NHKラジオ第2」のままですが、 この番組は2026年度からNHK FMに移っています。 公式を起点にしつつ、番組側の情報でも確かめるのが確実だと思います。

参考サイト

この記事は、次のページで確認できた内容をもとに書きました。

当サイトはファンが個人で作っている非公式のサイトで、ご本人・所属事務所とは関係がありません。
記載の内容は2026年9月13日時点で確認できたものです。所属や肩書きは、このあと変わることがあります。
事務所との関係の読み取りにあたる部分は、ファンによる個人的な考察です。

Q&A

この記事でわかること

サンシャイン池崎の事務所はどこ?
ワタナベエンターテインメントです。2006年の活動開始からずっと同じ事務所で、確認できた範囲では移籍の記録はありません。2000年に渡辺プロダクションから分かれてできた会社で、俳優やタレントも所属しています。
サンシャイン池崎はどうやって事務所に入った?
事務所が持つ養成所「ワタナベコメディスクール」を通っています。2005年4月に2期生として入学し、2006年3月に卒業して所属という流れです。スクールの開校は2004年10月1日なので、かなり早い世代にあたります。
サンシャイン池崎が事務所の大会で優勝したのはいつ?
2015年2月12日の「最笑王座決定戦」です。ワタナベエンターテインメント所属の芸人同士でいちばん面白い芸人を決める大会で、本人はこれ以降「数十倍忙しくなった」と語っています。R-1の決勝進出は翌年でした。

RELATED

あわせて読みたい記事

この記事のタグ

「プロフィール」の記事をすべて見るタグから探す